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プライバシー・パラドックス

2020年11月30日に『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』が出版されました。

マインドマップによる整理


要約

個人データの保護に関する考え方や、プライバシー・パラドックスについて述べられています。現代のデジタル時代において、個人データの収集や利用が増えるにつれ、プライバシー保護に対する意識が高まっています。デジタル情報の所有権が創造者にあるべきだと主張され、企業は必要なデータを収集する際にはユーザーから許可を得るべきであると指摘しています。これにより、個人データの漏洩や悪用を防ぐことができます。

一方で、プライバシー保護には法制度が必要であるとも述べられています。現在、多くの国や地域で個人情報保護法が制定され、個人データの収集や利用に一定の制限が課せられています。しかし、法律の制定だけではプライバシー保護は不十分であり、個人自身もプライバシーの重要性について意識し、適切な対策を取ることが必要です。

さらに、プライバシー・パラドックスについても言及されています。プライバシー・パラドックスとは、プライバシーが自分自身を消せない自分である一方、自分が存在したことを証明するものでもあるという矛盾を指します。例えば、SNSでの投稿やオンライン上での行動は、自分自身を表現する一方で、それによって自分が存在したことを証明するものでもあります。このような状況下で、プライバシー保護と自己表現のバランスをとることが求められています。

最後に、全体主義に対抗するためにも、プライバシーの権利と義務を守ることが必要であると主張されています。現代社会において、個人データの収集や利用がますます進む中、プライバシー保護はますます重要な課題となっています。個人自身もプライバシー保護に対する意識を高め、個人データの安全性を確保することが求められています。

現在

2018年に施行されたEUの「一般データ保護規則」(GDPR)は、ユーザーのデータ主権を明示し、世界で最も厳格な個人データとプライバシー保護を定めた。GDPRの施行から5か月後に開催された「国際データ保護およびプライバシー・コミッショナーズ会議」では、アップルのCEO、ティム・クックがデジタル広告業界に人びとのプライバシーを販売する巨大なデータブローカーが存在することを強調し、データエコシステムの規制を訴えた。

日本政府がEUと「十分性認定」を共有したが、欧州データ保護監督局は日本の個人情報保護法に多くの懸念を持っており、GDPR違反を追及する動きが加速すると予想されている。プライバシー保護をデフォルトとする「プライバシー・バイ・デザイン」による製品やサービスの開発に影響し、世界のトレンドに乗り遅れる結果となる可能性がある。

プライバシーは、他者が介入できない私たちの自己決定権であり、人格を自由に発展させる非公開領域の権利である。ドイツのプライバシー保護は、ドイツ基本法の一般的人格権に由来し、公益や法執行目的のために一部制限される場合もある。ドイツの郵便制度は、各住民のプライバシーを守るために、各アパートの玄関の鍵を持つ郵便配達人が存在する。インターネットにおいては、個人情報の漏洩が喫緊の問題となっている。

「プライバシー・パラドックス」とは、人々がプライバシーを望みながら、その真逆な振る舞いを続けるというジレンマである。モバイルアプリの利用規約に同意する際、ユーザーはプライバシーについて疑問を抱かず、自己決定の儀式を行っている。シリコンバレーのデータ産業複合体は、プライバシー侵害をビジネスモデルの一つとしているが、人々はそれを知りつつもサービスを利用し続けている。

フェイスブックケンブリッジ・アナリティカ事件はプライバシー・パラドックスの究極の例であり、個人データの流出が明らかになっても、フェイスブックのアクティブユーザー数は増加し、収益も増加した。データの機密性が証明されていないことが明らかになっても、私たちの実際の行動に何の影響も及ぼさなかった。

プライバシー・パラドックスは、ソーシャルメディア・ユーザーが自分のプライバシーを犠牲にしてでもアプリから得られる利益を重視すること、消費者が自分自身のプライバシーの本当の価値を理解できないことに起因する。人々は自分のプライバシーにほとんど価値を感じていないように見える。

プライバシー規制に対する西洋のアプローチは物理的空間に基づいており、欧州に住む人々は独裁政権による監視社会を経験してきた。デジタル時代にはプライバシーの概念が物理的な空間とオンラインとで異なる解釈となり、人々は自分の家の物理的な侵害を許可することは決してないが、大規模なデータ侵害がオンライン上で起こったとしても、自ら警察に届ける人はいない。このようなプライバシー・パラドックスから、私たちは次のプライバシー概念のヒントを学ぶことになる。

「ネットワーク化されたプライバシー」という概念が重要であることが、フェイスブックのデータ流出事件やケンブリッジ・アナリティカ事件から明らかになった。プライバシーは個人だけでなく集団にとっても重要であり、サイバースペースにおいては、私たちは自己決定権を失っているという問題がある。

義務

ドイツのサウナ文化におけるヌーディズムとプライバシー保護の関係から、公共のヌードが地域社会に受容され、法的に認められるかどうかは難しいというプライバシー・パラドックスが存在する。サイバースペースにおいては、実空間におけるプライバシーが自己決定権であるのに対し、その権利が希薄であるため、オンライン上のプライバシー主権の認識と環境整備には、物理的空間との間でプライバシーの必要性を感じる経験が不足しているという課題がある。

ドイツのサウナ文化において、裸であってもプライバシーは守られる。人びとは、男女お互いの裸を「見えていない」ふりをすることで、プライバシーを尊重する。旧東ドイツ時代もヌーディズムが一般的だったが、これは監視社会に対する市民の日常的な抵抗であった。プライバシー侵害や違法なデータ共有に対するドイツ人の不安は、ナチスドイツのゲシュタポ旧東ドイツのシュタージによる抑圧的な監視社会の記憶とも結びついている。

プライバシー・パラドックス問題について、人々は便利なサービスを得るために自らのプライバシーを手放しているが、リスクを認識しない人々を保護する義務がどこにあるのかという問題がある。プライバシーを定義し、尊重し、保護する方法を学ぶ必要があるとされる。プライバシーはユーザーに主権があること、すべてのユーザーが自身のコントロール下において安心してアプリを使用できる環境整備が求められている。

プライバシー保護の立法化は、倫理的・道徳的義務を反映すべきである。プライバシー規制には、社会の変容に沿ったプライバシー・シナリオを考慮に入れる必要がある。プライバシー・パラドックスは、プライバシー保護を進化させるための重要な理論的構成要素である。将来の規制当局が新しいデータ保護法を策定する際には、AI規制に対しても慎重さが求められる。

ドイツでは、オンライン上のプライバシーを手放す風潮を懸念する声と、透明で開放的な社会をつくるべきとする急進的な議論が対立し、プライバシーをめぐる新たなパラドックスが生まれている。ワイマール憲法ではプライバシーが人権であることが明記され、戦後の憲法でも緊急事態法の執行範囲に注意が払われたが、ナチ党の全権委任法によって市民の人権は一瞬にして無効となり、現代でもドイツ国民はその爆弾に翻弄されている。

ドイツ歴史博物館の展覧会「ワイマール: 民主主義の本質と価値」において、日本から輸入されたべっ甲張りの性具が展示され、当時のドイツ国民が性の自由を語り出すきっかけとなったことが紹介された。ワイマール共和国で可能になった新しい自由は、性的な改革を大きく後押しし、ドイツの内科医であり、性科学者、そして同性愛者の権利擁護者となったマグヌス・ヒルシュフェルトの登場によって加速した。

メディアの発達によって表現の自由に基づく報道の暴露性が増し、個人のプライバシーが侵害されることが問題視されるようになった。一方で、プライバシーが存在するからこそ、暴露報道という経済活動が成立し、プライバシー保護を強化してきた。私的領域が広くメディアで開示されることを望まない人びとにとって、プライバシーは守るべき「私の砦」だった。

未来

「ポスト・プライバシー」の概念が登場し、インターネット上のプライバシーは実際にはコントロールできないものであることが明らかになっている。データ・プライバシーはますます開放され、透過的なものとなっており、プライバシーの秘匿と公開との間で揺れるプライバシー・パラドックスを理解する必要がある。フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグやグーグルの元会長エリック・シュミットらが、「プライバシーは存在しない」との見解を示しており、議論は劇的な変化を遂げている。

クリスチャン・ヘラーの『ポスト・プライバシー:プライバシーのない祝福される生活』は、デジタル時代のプライバシー保護に疑問を投げかけ、プライバシー保護の取り組みが何を保護してきたのかを問い、未来を直視しない後衛行動であると批判した。彼はすべてのデータはより広い共有、より多くのコミュニケーション、そしてより透明性にもとづい開かれたものになるべきとの考えを示した。

プライバシーの死と透明性の時代についての議論が、ドイツのテクノロジー見本市で行われた。米国スタンフォード大学の准教授は、ソーシャルメディア・ネットワークで入手可能な大規模な顔写真データを用いて、人々の心身の健康状態や遺伝子の発達の歴史と地域文化の特性までを解明することができると主張した。プライバシー保護を実現することは今や不可能で非現実的であり、個人レベルでも秘密を持たないことが重要だとする考え方が「ポスト・プライバシー」理論の要点である。プライバシーと機密性の死、その結果としての透明性の向上は、個人だけでなく政府や企業にも及ぶ。

透明性が向上すると説明責任が高まり、不正行為を防止することができる。プライバシー保護を離れた世界は暗闇とは限らず、中国におけるデータ環境は国家の支配力が強大だが市民は保護されているともいえる。透明性は、人びとの発見や議論を育て、イノベーション、学習、コラボレーションを活性化すると指摘されてきた。プライバシーの断念が、実際には社会を改善するという考えにも耳を傾ける必要がある。

オンライン生活において、個人のプライバシーを事業者と共有することで、保険料や交通機関の利用などが最適化されるが、その代償として個人の行動履歴が共有される。現代のオンラインビジネスにおいて、個人情報の共有が当たり前となっているが、その問題点やポスト・プライバシーの可能性について考える必要がある。

データ経済の理想は、透明性と信頼性に基づき、人々の親密なデータを収集し保存することと引き換えに、人々に提供される価値を最大化することである。しかし、個人のプライバシーが侵害される危険性があるため、企業はデータをスマートに使い、顧客に明確な利便性や価値を提供することで信頼を得る必要がある。

ポスト・プライバシー世界において、企業が顧客の情報を収集し、プロファイリングを作成することに対する懸念が生じている。プライバシー保護の議論が誇大妄想にすぎないのか、また、プライバシーを手放してまで利便性や多幸感を追求することが本当に正しいのか、という問いが浮上している。

歴史

「プライバシー・パラドックス」とは、個人情報の保護と利用の両立が難しいという問題である。この問題は、人間の自由や権利を守るための道徳的権威である神の存在と同様の問題であると考えられる。歴史的に、神は社会を導くために不可欠な道徳的権威とされ、民主主義や人権の発展にも関わってきた。

『サピエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、ホモ・サピエンスがフィクションを創造し信じるユニークな能力を持っていることから、人類は「ポスト・トゥルース」から進化したと指摘している。事実や真実を報道するメディアの歴史は、事実や虚構が共に「作られた」ものを意味していた石器時代から大きく変化してきた。神話や虚構が人間の集団を団結させるのに役立ってきた歴史があり、宗教的世界観は人びとを団結させることによって大規模な人間同士の協力を可能にした。

聖書の物語に見られるように、禁止されたものに興味を持ち、疑問を持つことが知恵の源泉となることが「プライバシー・パラドックス」として指摘されている。

プライバシーは古代社会から存在し、個人の要件によって定義される。プライバシーの歴史は長く、法律学者たちの葛藤も続いている。プライバシーは公私の間の領界であり、時代や社会によって異なる。

古代社会から現代に至るまで、プライバシー概念は変化してきた。都市化により物理的なプライバシーが損失し、村社会からの解放により新しいタイプのプライバシーが生まれた。これらの変化は、ゴシップ報道やタブロイド新聞の起源にも影響を与えた。

1890年に発表された「プライバシーへの権利」という論文は、プライバシーの権利を初めて定義し、米国の法律に影響を与えた。この論文は、個人の思考や感情を他人に伝える範囲を決定する権利として定義され、プライバシーの保護を支持する世論を作った。この論文は欧州でもプライバシーの権利を検討するきっかけとなり、異なる種類の保護を作り出した。

プライバシーの普遍的な定義は作成できず、プライバシー概念は異なる状況によって異なる解釈を生んだ。アラン・ウェスティンの研究は、プライバシー「個人に関する情報が、いつ、どのように、そしてどの程度まで他人に伝達されるかを自分自身で判断できること。それを判断する個人、グループ、または機関の主張」と定義し、プライバシーは個人の領域にとどまるもので、その普遍的な領域の特定は困難だった。

プライバシーの機能としては、個人の自律性、感情の解放、自己評価、限定的に保護されたコミュニケーションがある。個人はプライバシーを保護し、健康的な生理学的および認知的機能や自主性と自己実現に向けた精神的なシステム開発の機会を提供する。プライバシーの要素には、自律する権利、個人へのアクセス制限、機密性、個人情報の管理、人格、親密さが含まれる。プライバシーは、他者への接近可能性に対する関心事に関連しており、情報の収集または隠蔽の一側面であるとされる。

プライバシーの定義は多様であり、統一された定義を作成することは非常に難しい。ハンガリーの法学者マテ・ダニエル・ザボーによる「個人が自分自身について決定する権利」という定義が最も包括的であるが、法的保護の目的を定義するにはまだ曖昧である。プライバシーの権利を定める国際的な法的文書があるが、保護の対象が決定できない場合、効果的な法的保護を確実にすることは困難である。

国際法文書により、プライバシーの権利が認められ、違法な干渉から身を守る権利を持った。しかし、プライバシーとは何か、どの側面を法的に保護する必要があるのかについては詳細に示されておらず、判例法が回答を提供する。欧州人権裁判所は、私生活を尊重する権利に干渉があったかどうか、干渉が合法的だったかを検討している。欧州人権裁判所は、私生活における干渉のリストを提供しているが、これは網羅的なものではなく、常に変化する社会経済情勢に合わせて法律の範囲も変化することを意味している。

コンピュータの登場以降、プライバシーや個人データ保護に関する規制が欧州で進化し、最も厳格な「一般データ保護規則」(GDPR)が2018年に制定された。GDPRは従来のプライバシー保護よりも広範囲で、個人データ処理に適用されるが、プライバシーは抽象的な権利であるのに対し、データ保護の権利には詳細な規則がある。

プライバシー保護は、インターネット、スマートフォンソーシャルネットワーク、ドローン、バイオメトリクス認証、IoTなどの技術革新によって脅かされている。データ提供と引き換えの監視がプライバシー保護にとって重要であるが、大量のデータが記録され、経済化されることが問題である。プライバシー保護とプライバシーの死との相克は、スマートシティ、IoT、人工知能社会を視野に入れたデジタル・ファンタジーと向かい合うことになる。

民 意

TikTokは、中国のByteDance社が開発した動画プラットフォームであり、Z世代を中心に世界中で爆発的なブームを引き起こしている。Z世代は、デジタル機器に囲まれて育ったため、プライバシーの感覚が旧世代とは大きく異なっており、自らのプライバシーを惜しげもなく公開する。TikTokは、世界で2番目にダウンロード数の多いアプリであり、米国でも約1億人のアクティブユーザーを獲得している。

米国政府は、ティックトックの親会社が中国にあるため、国家安全保障上の脅威とみなし、ティックトックのデータ収集と監視に関する懸念を指摘している。大規模なハイテク・プラットフォームの場合、ユーザーのプライバシーを侵害することには大きな罰金が科せられてきた。

オンライン・プライバシーの価値をめぐる議論が続く中、消費者が個人データにどのような価値を置くかを正確に把握することは困難であるという見解がある。多くの人々は、個人データの収集と濫用を中心に展開するビジネスモデルを認識しつつも、フェイスブックやグーグルなどの無料サービスを引き続き使用している。一方で、消費者のプライバシー保護に関する懸念が高まっている。

オンライン・プライバシーに対する人々の欲求と行動の間にあるプライバシー・パラドックスについて、データ侵害の損害評価が困難であることが課題となっている。フェイスブックのユーザー一人あたりの年間売り上げが約30ドルであることから、オンライン・プライバシーの価値は年間2400億ドルと推測される。この価値により、厳格なプライバシー法が正当化される可能性がある。

消費者はデータ保護を望みつつ、提供することで健康データの不適切な使用が増えることを懸念している。一方、プライバシー規制当局がデータ保護の価値を過大評価すると、経済活動を損なうリスクがある。データは新しいオイルと呼ばれるが、その量的定義は定まっておらず、個人データは大規模に照合されることで経済的価値を生み出す。ビッグデータ・マイニングは数兆ドルの経済的価値を生み出す可能性があるが、プライバシー保護が必要である。プライバシーの概念はデータ流通の中に存在し、データ・プライバシーがデジタル経済を活性化する可能性がある。

米国の調査によると、多くの人々は個人データの収集によって提供される製品やサービスが自分たちの利益につながると考えているが、個人データの収集による潜在的なリスクが便益を上回ると感じている。また、プライバシーポリシーや利用規約に注意を払うことに熱心ではなく、企業による個人データの共有方法を制御できないと感じている人が多い。

「プライバシー・パラドックス」は、プライバシー保護に関する警戒心を示す一方で、一般の人びとがデータ駆動型サービスに価値を見いだしていることが明らかになった。若い世代では、健康データを共有しユーザーを監視することを受け入れる傾向がある。プライバシー、データ共有、および信頼性について市民の意見を求める必要がある。

この調査は、米国社会がデジタル・プライバシーをどのように見ているかについて、刺激的な観点を示している。回答者は、個人的な動と所有物を保護したいという欲求、そして彼らの個人データへのアクセス権を誰に与え、どう制御するに関心を持っていることが判明した。また、サードパーティへのデータ・プライシーの販売、追跡または監視、犯罪およびその他の違法行為の脅威、または政府からの干渉に言及する人とが少なくなっているという結果がある。

「デジタル・プライバシー」に関する回答者の意見は分かれており、一部は存在しないと考えている。多くの回答は「プライバシー」と重複しており、オンラインおよびオフラインの個人活動が企業や政府によって追跡・監視されていると考えられている。米国の成人の約六割は、収集されたデータによる「恩恵」なしに日常生活を送ることはできないと考えている。

「Z世代」は、スマートフォンと無料アプリを利用することで、プライバシーを放棄している。彼らはプライバシーを心配しないわけではなく、デジタル社会においてプライバシーを守る選択肢がないことを知っているためである。彼らにとって、プライバシーのない世界は自然なものである。

プライバシーについての懸念は、Z世代の三分の二が個人のプライバシーの時代は終わったことに同意し、オンラインで活動することは個人的なものでないということにも同意していることが分かった。彼らはプライバシーを放棄しても構わないと思っている。一方で、プライバシー保護を個人主権とする旧世代とは異なり、デジタル・ネイティブである世代にとってのデジタル・プライバシーは、より良くデジタル社会を生き抜くための新たな「公共財」なかもしれない。

自己

テセウスの船」という哲学的思考実験は、アイデンティティ問題を提起する。この問題は、人間がテクノロジーと融合する未来において、ますます興味深くなる。映画『アンドリューNDR114』や『アドバンテイジャス/アドバンテージ~母がくれたもの』は、この問題を探求する作品である。

「プライバシー・パラドックス」という哲学的問題について、米国の作家で哲学者のロバート・Mパーシグが提唱した「オートバイ修理」の例を紹介している。パーシグは、オートバイの個性が乗り手の知識や思い入れから生まれるとし、これを「クオリティの形而上学」と呼んでいる。また、テセウスの船の命題を例に、客観的概念と主観的概念の混同から生じるパラドックスを説明している。

ブルックリン・カレッジの情報科学教授であるノーソン・S・ヤノフスキーの著作『理性の外側の限―科学、数学、論理が解明できないこと』には、個人のアイデンティティの存在を疑う前に、物理オブジェクトは時間とともに変化すると主張し、人も常に変化する動的な存在であると述べられている。

哲学者たちは、身体と心のどちらがアイデンティティを定義するかについて議論している。プライバシー・パラドックスは、デジタル上のアイデンティティが個人のプライバシーとは分離されていることを示唆している。

リチャード・ティームは「プライバシーは個人にとってのみ意味を持つ。インターネット上では、私たちはもはや個ではない」と主張し、アイデンティティやプライバシーも個人の部に存在するという理解も幻想かもしれないと指摘した。彼はまた、プライバシーのない世界で育ったZ世代が、プライバシーのない世界での意味を再定義することができると述べた。

デジタル社会において、プライバシーとデータ・プライバシーの喪失現実を認める必要がある。データは生き続け、その部品を組み合わせることでアイデンティティが形成されるため、デジタル時代の「人間」の本質が問われる。

操作

ハーバード大学ビジネススクール教授のショシャナ・ズボフは、世界中の人々が「監視資本主義に支配され、操作されている」と主張し、ビッグテックがプライバシーを侵害することで彼らの本当の姿と権力の規模を見逃すことであると指摘した。彼女は、監視資本主義が前例のない規模で個人データを収集している背後には、プライバシ侵害を超えたそれ以上の脅威が含まれていることを示唆し、個人の自由と民主主義の名の下に監視資本主義を抑制する唯一の方法は「新しい反動」であると主張した。

「プライバシー・パラドックス」とは、現代の監視資本主義において、ビッグデータと予測アルゴリズムによって抽出された人びとのプライバシーを含む行動データが、予測産業を成長させ、市場で売買され、ユーザーの行動にまで影響を与えることを指す。グーグルやフェイスブックは、ユーザーのデータ・プライバシーを収集することで、自動化された行動データの抽出プロセスを実現し、投資家の利益追求に応えるために、データの余剰性を利用して検索結果を改善し、ユーザーに新しいサービスを提供している。

グーグルは、ユーザーのデータを収集し、そのデータを利用して広告を個人にターゲティングすることで、広告業界が長年夢見てきた「聖杯」を実現した。しかし、そのデータは政治キャンペーンなど他の目的にも利用できるため、プライバシー侵害への懸念が広がった。グーグルは、批判と規制を回避するために、四つの段階を経て戦略を変えてきた。

グーグル・マップの開発によって、人々の位置データを抽出するための大掛かりな舞台装置が用意され、プライバシー侵害訴訟などの動きも起こったが、ユーザーの利便性を向上させるための戦略によって、グーグル・マップは不可避な社会的インフラにまで高められた。

グーグルのアンドロイドおよびアップル・デバイス上の多くのサービスが、ユーザーのプライバシー設定や電源のスリープ状態にかかわらず、ユーザーの位置データを収集保存していることが判明した。グーグルには、収集された匿名データをユーザーの個人情報に関連付ける機能があり、広告識別子を通じてユーザーの趣味嗜好に合った正確な追跡広告が実行されることがある。

グーグルはユーザーの検索履歴や視聴履歴を保存し、他のアプリ企業からもデータを購入して統合することで、追跡広告を行う企業に大きな利益をもたらしている。多くの人はデータ使用を受け入れ、規制当局もそれを止めることは難しいとされるが、テック巨人は人々の信念や行動も変更可能であり、力と支配の大部分が隠れたシステムの中で作成されていると指摘されている。

「プライバシー保護」と「ポスト・プライバシー」の議論が、テクノロジーが私たちの生活を改善する道具なのか、それともプライバシーを脅かす武器なのかを問いかけている。テック巨人への攻撃が加速し、テックラッシュ現象が起こっている。一方で、一般の人々はスマートテクノロジーに満足しており、テックラッシュは政策にも反映されている。

テックラッシュは最近の現象ではなく、ITが社会に与える負の影響を指摘する専門家が存在してきた。エフゲニー・モロゾフはインターネットの権威主義体制への貢献を指摘し、「インターネットの自由」という風潮を批判した。アンドリュー・キーンはインターネットの心理、経済、社会への影響を紹介し、有害であると主張した。ジャロン・ラニアーはテック巨人が世を支配する脅威に警鐘を鳴らし続けている。テックラッシュは、ロシアが米国選挙を妨害するためにソーシャルメディアを使用した疑惑や、ケンブリッジ・アナリティカの告発、グーグルの独占禁止法違反による制裁金などによって加速してきた。

「監視資本主義」は、大量のデータを収集することで消費者を制御する企業の戦略であり、企業が顧客データを本来の目的から外れて使用しているという批判を生む。一方で、企業側はデータを善意の意思決定やカスタマイズされたサービスの提供に使用すると主張している。政策立案者は、GDPRカリフォルニア州の新しいプライバシー法など、プライバシーに関する強力な規制を推進している。

消費者データの広告主への販売は実際には行われておらず、広告主は個人データを管理し、特定の要因に基づいて消費者にリーチするために対価を支払う。データブローカーによる消費者データの悪用や販売はあるが、GDPR以後の欧州ではデータ共有の正しい方向をめざす企業活動が生まれている。

個人データの収集は消費者と企業の実質的な取引であり、個人データの価値や値段は低いとされる。政策立案者は個人データの推定価格を明らかにする法律の制定や消費者に財産権を与えるべきだと主張する。一方、データ配当を提案する動機もある。企業は収入を得るために直接支払いまたは広告主スポンサーからの間接支払いを受け取るが、個人データの価値は低いため、データが通貨として扱われることになる。

ITの発展により、人々の行動データが資本化され、監視資本主義が台頭している。この状況に対して、テックラッシュが必要であるとされる。

監視資本主義は、人びとの行動を操作し、特定の方向に導くことで、アクチュエーションを修正および操作する。デジタル社会において、人びとはすでに監視資本主義に従属する存在であり、プライバシーを放棄しても日常生活に支障があるとは考えていない。しかし、個人の自由は大きく制限され、データ・プライバシーは私たちの生身身体や意識とは別物である。

双子

「ポスト・プライバシー」論は、プライバシー保護から脱し、透明で公正な社会を目指す新しい価値観であるが、その真のリスクを考慮する必要がある。現実の生身の人間の行動データは、デジタル経済にとって最重要な資源となり、人類のデータ収集能力は現状のデジタル資本主義の原動力であるばかりか、人工知能(AI)やロボットが、人間を超えて未来を開くための基盤となった。

ユーチューブのアルゴリズムは、視聴時間の最大化を目指して過激で陰謀的な動画を推奨し、虚偽情報の氾濫により人々を洗脳し、偽を判断する能力を失わせる。ユーザーは自ら求めていなくても、陰謀論や極端な政治党派的な視点、偽情報を特徴とする動画に誘導される。

デジタル・プライバシーは、個人の身元や購買履歴を割り出し、ユーザーが次に何を購入したいかを予測することで、ユーザーに買わせる商品を特定し、心操作を実行することができる。監視資本主義は、リアルな物世界での「私」に働きかける巨大な権力であり、アルゴリズムを統括するデータ資本家によって、私たちの将来の行動や心の動きまでも思いのまに操作されることを意味する。プライバシーの将来はますます脆弱になり、今日の「プライバシー」が何を意味するのか、誰も正確には理解できないことが最大の要因である。

デジタルツイン技術は、物理世界の出来事をデジタル上に再現し、将来の予測アルゴリズムと組み合わせることで、個人の未来を探索するための強力な意思決定ツールになる可能性がある。パーソナル・デジタルツインは、個人のデータを収集し、アルゴリズムによって「私」に限りなく近づき、将来の結果を正確にモデル化することができる。しかし、プライバシーの問題があるため、個人データの保護が必要である。

デジタル世界における個人のデータ保護とヘルスケア革命において、デジタルツインが重要な役割を果たすことが期待されている。欧州委員会はドイツ・ベルリンのシャリテ医科大学を中心にしたPDTの開発と運用を、次代のヘルスア革命とEUのフラッグシップ政策と位置づけ、一〇億ユーロの資金投下を約束した。個人がブロックチェーン技術などを実装して企業に個人データを能動的に提供することで、企業からサービスを手に入れる「契約」が成立する。デジタルツインに個人データを提供するかどうかの判断基準をあらかじめ設定し、ツインが事業者とやりとりすることで、個人のプライバシ保護を確実にすることが期待されている。

秘密

プライバシーは人権であると同時に個人の義務でもあり、権利と義務は均衡の関係にある。プライバシーを保護するためには法制度が必要であり、権利と義務がどこに向かって作用するかが重要である。将来的には「データとなった人間」の未来についても注意深く見続ける必要がある。

プライバシーは秘密の領域に属しており、愛や秘密と密接に関係している。プライバシー・パラドックスは、プライバシーが自分自身を消せない自分である一方、自分が存在したことを証明するものでもあるという矛盾を指す。無言の別れやSNSでのブロックは、プライバシーの共犯者としての相手を排除するために行われる。恋愛関係の絶頂では、互いのプライバシーが共有され、愛は確かなものに昇華されるが、時間が経つにつれ、プライバシーは幻想へと変化する。愛とは別の言葉で言えば、プライバシーであり、秘密の共有である。

プライバシー・パラドックスについて、個人のプライバシーが重荷になることもあるが、それを解放することは死を呼び込むことにもなる。デジタルツインがあと十年もすれば、私たちのスマホの中で生きていくことになるが、そのとき、私を一番よく知る実体なきデータの生命は、私とどう関わり、私という存在を変えるのか、プライバシー・パラドックスは深い闇の中にさまようのか、それとも共有されたプライバシーの幻想を補正することができるのか、最後の課題に向き合う必要がある。

デジタル時代において、プライバシーや秘密は人工知能によって解読される可能性があり、所有権の概念も変化している。『オーナーシップの終焉: デジタル経済にける個人のプロパティ』は、デジタル経済における消費者の財産権が低下していることを指摘し、法律と技術の組み合わせによる消費者保護の必要性を訴えている。

『所有財産、プライバシー、および新しいデジタル農奴制』の著者であるジョシュア・フェアフィールドは、スマートテクノロジーと法律の交差点についての説得力のある考察で、デジタル所有権の危機について説明しています。私たちは、スマートテクノロジーによって所有権を失い、デジタル農民になる危険性があると指摘しています。

「プライバシー・パラドックス」とは、デジタルツインという概念によって、私たちのプライバシーが侵害される現象を指す。デジタルツインは、私たちのデータパターンを元に作られた完全なプロフィールであり、企業が私たちの影に隠れて、広告の二次市場を通して、その他の方法で収益化することができる。この現象は、中世の領主制と奴の関係に似ていると指摘されている。

企業が私たちの個人データを自由に利用できる現状に対し、私たちは自らのデジタルツインを所有すべきだと主張する。デジタルツインは私たち自身の延長であり、支配権は誰にも奪われるべきでない。デジタルツインの所有権を確立することで、新しいサービスの開発を奨励し、社会の参画者としての役割を果たせると考えられる。

欧州委員会は、欧州データ戦略および人間中心主義の人工知能開発政策について発表し、個人データの保護を重視するGDPRを進化させ、市民個人データの共有を促進するトラスト・プロジェクトを二〇二二年までに立ち上げるという。具体的には、データトラストと呼ばれる仕組みにより、個人データの欧州単一市場を創設する。

「プライバシー・パラドックス」についての記事。デジタル情報の所有権は創造者にあるべきであり、企業は必要なデータを収集するためにユーザーの許可を求めなければならない。デジタルツインの権利を守るために、転送を容易にするメカニズムを実装する必要があり、スマートシティ技術やDXの実行には適切なチェックが必要である。また、政府のリーダーシップに対する信頼が低下した国でも、パンデミックの影響により、実験的アプローチが「正当化」される可能性がある。

魔術

「プライバシー・パラドックス」についての記事。現代のネットユーザは、中世の農民のように見えると述べ、インターネットが日常生活の上に置かれた一種の超自然的なイヤーへと発展していると指摘。また、メガ・プラットフォームの不透明なアルゴリズムによる無力感や神秘的な感覚は、中世の農民にとってはそれほど奇妙なものではなかったと述べている。

現代のテクノロジーによって、私たちは自分たちのデータをインターネット企業に提供している。これらの企業は私たちの行動を予測し、競合企業の参入を困難にするためにアルゴリズムやAIを最適化している。このような「監視資本主義」は、中世的な封建的な支配構造の復活をもたらす可能性がある。

プライバシー・パラドックスについて、ポスト・プライバシー論とプライバシー擁護論の対立や、プライバシーを共有することの問題点、個人の自己主権が重要であることなどが議論されている。全体主義に対抗するためにも、プライバシーの権利と義務を守ることが必要である。

まとめ

「プライバシー・パラドックス」とは、私たちのプライバシーがデジタルツインという概念によって侵害される現象を指します。デジタルツインは、私たちのデータパターンを元に作られた完全なプロフィールであり、企業が私たちの影に隠れて、広告の二次市場を通して、その他の方法で収益化することができます。この現象は、中世の領主制と奴の関係に似ていると指摘されています。

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# プライバシー・パラドックス
## 現在
### ティム・クックの訴え
### 日本の「十分性認定」
### ドイツの郵便配達人
### 真逆な振る舞い
### ケンブリッジ・アナリティカは何も変えなかった
### ふたつの分析
### グーグルはシュタージ
### プライバシーはつながっている
## 義務
### 温泉とデータ保護
### サウナのパラドックス
### リスクを認識しない人びと
### 権利から義務へ
### 「秘密の原則の保障」の消滅
### 日本製の性具
### メディアと暴露報道
## 未来
### 「ポスト・プライバシー」の登場
### 未来を直視せよ
### プライバシーの死は政府・企業にも及ぶ
### 「透明な世界」の可能性
### オンライン生活の幸福
### データ経済の理想
### プライバシーは誇大妄想か
## 歴史
### 神と人間
### ファクト・フェイク・フィクション
### 疑うことの力
### 古代社会のプライバシー
### 村社会からの解放
### 現代プライバシーの起源
### 普遍的定義の策定
### 機能としてのプライバシー
### 法的概念を作ることの困難
### 法文書の第一世代
### コンピュータ登場からGDPR
### さらなる難題
## 民 意
### TikTok と 乙世代
### プラットフォーム制裁
### データの値段
### 年間二四〇〇億ドル
### 新しいオイル
### リスクは便益を上回る
### 不信感の曖昧な証拠
### 「プライバシー」と「デジタル・プライバシー」
### ノー・データ、ノー・ライフ
### Z世代のプライバシー放棄
### 公共性とのトレードオフ
## 自己
### テセウスの船
### オートバイ修理
### 川の水は絶えず流れる
### アイデンティティの実体
### 私はもはや私ではない
### デジタル時代の「人間」
## 操作
### 「私は彼らのもの」
### 原材料の確保
### 広告屋の「聖杯」
### グーグルマップのインフラ化
### アンドロイドの位置情報
### 信念や行動を変える
### 道具なのか武器なのか
### ディストピア的反論
### 監視資本主義のトリック
### 消費者データ売買
### 個人データの使用料金
### 資本化される行動データ
### 究極の技術
## 双子
### プライバシーの死の先
### ユーチューブと陰謀動画
### 人心操作と情報臓器
### デジタルツインの意義
### ヘルスケア革命の鍵
## 秘密
### 権利と義務の均衡
### 愛・秘密・プライバシー
### 最後の課題
### 私の占有権
### 所有できない
### シェアと農奴
### デジタルツインを自ら所有する
### データトラスト
### パラダイムシフト
## 魔術
### 予言者グレタと魔術的中世
### 蜂蜜の捧げ物
### 誰にも服従する権利はない
## 補 稿
### デジタル監視の台頭
### 監視データの行方
### 監視体制の常態化
### ポスト911における監視技術
### 先導する東アジアの監視体制
### 民主的監視に向けて
### 民主主義と監視社会
### ドイツの挑戦