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私とは何か「個人」から「分人」へ

2012年9月14日に『私とは何か――「個人」から「分人」へ 』が出版された。

嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観!

目次の俯瞰

私とは何か「個人」から「分人」へ
    まえがき
    第1章 「本当の自分」はどこにあるか
        教室の中の孤独
        小説にのめり込む
        「本当の自分」とは何なのか私たちはキャラを演じ分けているのか
        新旧の友人が同席したとき
        ネットの中では別人?
        一面は本質ではない
        「本当の自分」 幻想がはらむ問題
        「個性の尊重」
        アイデンティティ・クライシス
        引きこもりと自分探し
        「本当の自分」などないと言われても・・・・・・
        変身願望
        匿名性というより匿顔性
        ネットとリアルのあいだ
        生きたいからこそ、リストカット
        行き詰まりとしての「決壊』
    第2章 分人とは何か
        私たちを苦しめる矛盾
        分人とは何か
        社会的な分人 ステップ1
        社会的な分人の地域差
        グループ向けの分人 ステップ2
        特定の相手に向けた分人 ステップ3
        八方美人はなぜムカツクか
        一方通行では成り立たない
        分人の数とサイズ
        個性とは、分人の構成比率
        足場となる分人
        リスクヘッジとしての分人主義
        一人でいる時の私は誰?
    第3章 自分と他者を見つめ直す
        悩みの半分は他者のせい
        他者もまた、分人の集合体
        コミュニケーションはシンプルに
        大切なのは分人のバランス
        分人で可視化する
        閉鎖的な環境が苦しい理由
        分人化を抑えようとする力
        分人主義的子育て論
        自分を好きになる方法
    第4章 愛すること・死ぬこと
        「恋愛」、つまりは「恋と愛」
        三島と谷崎の「恋」と「愛」
        どうすれば、愛は続くのか?
        分人主義的恋愛観
        複数の人を同時に愛せるか?
        分人と嫉妬
        片思いとストーカー
        愛する人を失ったときの悲しみ
        死者について語ること
        死後も生き続ける分人
        なぜ人を殺してはならないのか
    第5章 分断を超えて
        遺伝要因の影響
        トリミングの弊害
        分人は他者とは「分けられない individual」
        文化の多様性をヒントに考える
        分人は融合すべきなのか?
        分断を超えて
    あとがき
    補記 個人のの歴史

要約

まえがき

本書は、「個人」から「分人」への転換を提唱し、人間の基本単位を再考することを目的としている。分人とは、対人関係ごとの自分のことであり、一人の人間は複数の分人のネットワークで構成されている。個性は、その複数の分人の構成比率によって決定される。本書は、具体的な話を通じて、現代人のアイデンティティについて考えるきっかけを提供する。

第1章 「本当の自分」はどこにあるか

著者が小説を例に挙げながらアイデンティティについて探求しています。自傷行為は自殺を意図したものではなく、むしろ自己イメージを拒否し、新しいアイデンティティを獲得する手段である場合があること、そして、現代の調査や尋問では、歴史的な魔女裁判で見られる特定の行為ではなく、自己の存在に疑いをかける傾向があることを指摘しています。

著者は、かつては伝統的なアイデンティティの考えに従っていたが、小説「結界」を完成させた後、「真の自己」を見つける必要があるという考えにはもはや信じていないと述べています。この小説の主人公は、真実のアイデンティティを見つける苦闘ではなく、自分が犯していない殺人の罪で誤解されてしまいます。

文章はまた、「人は分割された存在(dividual)であり、不変の真の自己ではない」という考えに触れています。そのため、一つの真の自己や一貫した、揺るぎない自己は存在しないとされています。著者は、自分自身が考えを疑問視し、仮説を疑うことを積極的に行い、自分自身の結論を導いています。

全体的に、文章はアイデンティティの複雑さ、人々がアイデンティティを見つけるために努力する異なる方法、伝統的な固定された、変わらない「真の自己」の概念を超えたアイデンティティの新しい考え方の必要性についての洞察を提供しています。

第2章 分人とは何か

分人主義は、人間を単一の個人として捉えるのではなく、複数の分人が存在するという考え方です。この思想は、個人主義と同様に、変化を肯定的に捉えるものであり、人間関係は多種多様であるため、自分に対して一切隠し事をしてはならないとの考え方を持っています。

人は、環境や状況によって異なる分人を生きているとされています。学校や家族などの状況で生じる分人と同様に、一人でいる時の自分も異なる分人を生きていると考えられています。自分の個性を考えるためには、その構成比率を考えることが重要であり、一人でいる時の自分を含め、自分が抱える複数の分人を認識することが必要です。

人間は常に他者との相互作用の中にあります。一人でいる時であっても、他者との関係を通じて、様々な分人を生きながら考えごとをしているはずです。そのため、「本当の自分」という存在を無色透明なものとして考えることはできず、自分が抱える複数の分人を通じて、自分自身を理解することが重要です。

「本当の自分」を生きるためには他者との関係が切断されている方が良いという幻想は避けるべきです。人間は常に他者との相互作用の中にあり、他者との関係を通じて、自分自身を理解し、成長することができます。分人主義は、個人主義と同様に、変化を肯定的に捉える思想であり、自分が抱える複数の分人を認識することで、自分自身をより深く理解することができます。

第3章 自分と他者を見つめ直す

本章で議論されている人間中心の育児理論において、「分人(ぶんじん)」または複数の自己の概念は中心的な要素です。この理論によれば、人は単一の存在ではなく、さまざまな「分人」または自己の集合体であり、それらが互いや世界と相互作用しています。親や子供の生活における他の重要な人物は、これらの自己とその相互作用を形成する上で重要な役割を果たしています。

人間の成長過程は多くのコミュニケーションを伴い、親または同等の存在は通常、子供の生活における主要なコミュニケーターです。出生時から、子供の最初の「分人」は親との関係性に基づいて形成され、子供は他の人々との相互作用に応じて異なる性格を示し始めます。例えば、母親に抱かれているときには落ち着いて静かであるかもしれませんが、見知らぬベビーシッターに預けられると絶え間なく泣くかもしれません。これらの異なる性格や「分人」は、子供の他者との相互作用によって形成され、異なる人々に対する異なる反応が現れます。

子供が成長するにつれて、兄弟姉妹、親戚、近所の人々、クラスメート、友人、教師との相互作用によって「分人」は増加していきます。子供の理想的な社会環境は、その「分人」の構成に依存し、親は自分の子供にとって最適な「分人」の構成を考慮しなければなりません。多様な「分人」を持つことは重要であり、これは人間社会の複雑さと多様性を反映しています。

本書ではまた、自己愛や自己受容の重要性についても取り上げられていますが、これは達成が難しいものです。ただし、自己の概念を「分人」に分解することにより、個人は自分自身の好きな側面を見つけてそれを評価することができます。これは、自己疑念や自己批判に苦しむ人々に特に有益です。

人間中心の育児理論は、自己愛と自己受容が個人の追求だけでなく、他者との相互作用によって形成されることを強調しています。つまり、個人が自分自身を愛するためには、他者との良好な相互作用が必要です。言い換えれば、他者の存在が自己愛と自己受容には必要不可欠です。これは「分人」理論の重要なパラドックスであり、社会的多様性の重要性を浮き彫りにしています。

結論として、本書で提示されている人間中心の育児理論は、人を構成する異なる「分人」を理解し育てることの重要性を強調しています。この理論は、親や子供の生活における他の重要な人物がこれらの「分人」とその相互作用を形成する上で重要な役割を果たすことを強調しています。また、自己愛と自己受容の重要性も強調されており、これらは単なる個人の追求ではなく、他者との相互作用によって形成されるものです。

第4章 愛すること・死ぬこと

ユーザーとアシスタントの会話は「分人」の概念を中心に展開されます。「分人」は他人とのコミュニケーションを通じて形成される行動、思考、記憶のパターンを指します。ユーザーは日本の作家でノーベル賞受賞者大江健三郎の言葉を引用し、亡くなった愛する人々の影響が彼らが亡くなった後も私たちの「分人」を形成し続けると主張しています。その結果、亡くなった愛する人と強い「分人」を持つ人々が、その人について話す権威を持つかもしれないとユーザーは提案しています。その言葉にはある程度の客観性が含まれています。

アシスタントはこの考えを展開し、「分人」が人々の間で発展するコミュニケーションのパターンであり、このパターンを通じて他人がどのように反応するかを予測できると説明します。このパターンは生きている人々に限らず、亡くなった愛する人々が私たちの「分人」に対する影響を彼らが亡くなった後も長く持続させることができます。アシスタントはまた、死者とのコミュニケーションは暴力の形態であると一部が主張する一方で、大江の考えは、亡くなった人々の影響が私たちの「分人」を形成し続けるという考えを示唆しているため、彼らについて話される言葉にはまだある程度の客観性があると指摘します。

さらに、アシスタントは「分人」が人が死んだ後も発展し続けるという考えを強調します。人が死ぬと、その人が既に他人と共に形成していた「分人」は残り、新しい人々と新たな「分人」を形成する可能性は依然として存在します。アシスタントは、私たちをよく知る人が亡くなったとしても、新しい人々は記録などの手段を通じて私たちと「分人」を作り出すことができると指摘します。これは、私たちの存在が「分人」を通じて続く可能性があることを意味し、この考えは死を恐れる人々にとって慰めになるかもしれません。

その後、アシスタントは人々が他人を殺すべきではない理由についての話題に移します。アシスタントは、誰かが殺されると、その人の命だけでなく、その人が他人と共に形成していたすべての「分人」も失われると説明します。これは、個人の成長と変化の可能性も失われることを意味し、これは被害者だけでなく、彼らと「分人」を形成していたすべての人にとっても同様です。アシスタントは、誰かを殺すことは被害者だけでなく、彼らを知っていたすべての人に影響を及ぼす可能性のある破壊の形態であると指摘します。

要約すると、ユーザーとアシスタントの間の会話は、他人とのコミュニケーションを通じて形成される行動、思考、記憶のパターンを指す「分人」の概念を探求しています。アシスタントは、「分人」が愛する人が亡くなった後も私たちの生活を形成し続け、誰かを殺すことはその人の命を奪うだけでなく、彼らが他人と共に形成していたすべての「分人」を破壊することを説明しています。

第5章 分断を超えて

著者は「個人-多元主義」と「多個体主義」という概念を、個々の複数のアイデンティティが融合するべきか、それとも分離したままでいるべきかという問題への可能性のある解決策として紹介しています。彼は、両方の可能性が有効であり、個々のアイデンティティは、透過性のある状態で共存し、相互に影響を与えることができると主張しています。

次に、著者はこれらの考え方がどのようにして異なるコミュニティ間の社会的分断を克服するために適用できるかに焦点を当てます。彼は、コミュニティは個々のアイデンティティの構成に基づいて形成され、人々は自身のアイデンティティの構成に基づいてどのコミュニティに所属するかを選択すると説明しています。しかし、異なるコミュニティの統合は、共通の利益が欠けているため、依然として難しい課題です。

この問題に対処するために、著者は複数部分のアイデンティティという考え方を提案します。これにより、個々の人が異なるアイデンティティ要素を持つ複数のコミュニティに参加することが可能になります。このアプローチでは、大きな価値体系の下でコミュニティを統一しようとするのではなく、異なるコミュニティの個々の人々との小さなつながりを許容します。これらの小さなつながりは、異なるコミュニティ間の理解と協力の感覚を生み出し、結果的により連携した、調和の取れた社会を生み出すことができます。

著者は、複数部分のアイデンティティの概念と個々のアイデンティティの透過性が、コミュニティ間の社会的分断への潜在的な解決策を提供すると結論付けています。個々のアイデンティティの複雑さを受け入れ、異なるコミュニティでの多重参加を奨励することにより、より包摂的で多様な社会を作り出すことができます。

あとがき

小説『ドーン』の「分人主義」に感銘を受けた著者が、本書で「分人」という単位を提案する。本書は、日常生活で感じる漠然としたものに簡便な呼び名を与えることを目的とし、わかりやすさを第一に心がけた。副題『「個人」から「分人」へ』には、歴史的な経緯も含まれている。

補記 「個人」の歴史

「個人」という概念とその社会における重要性について述べています。個人の価値は、キリスト教の父たちの著作、封建制度の崩壊、そして現代社会の到来により、社会で強調されるようになりました。民主主義の出現により、個人への尊重はさらに重要になりました。経済では、性格と職業のマッチングが重要になっています。また、個人のプライベートライフは社会全体の関心事となっています。文化では、小説が人気になり、多様な個性が人々を引きつけています。

また、テキストでは「個人」という言葉の日本での歴史にも触れています。個人という概念は、明治時代に社会階級が廃止され、各人が独立した存在となった時に日本で確立されました。しかし、「個人」という言葉は最初は日本人にとって難解な概念であり、この言葉が広く使われるようになるまでには時間がかかりました。興味深いことに、「個人」という言葉は初めは中国語の辞書で「単独の人」や「独立した存在」と訳され、元々の「分割不可能」という意味は完全に理解されていなかったということです。

結論として、個人という概念は現代社会の必要不可欠な部分となり、その価値は広く認知されています。個人の経済、文化、プライベートライフはすべて社会の重要な側面であり、性格と職業のマッチングの重要性は非常に大きな問題となっています。個人という概念は最初は理解するのが難しかったかもしれませんが、現在では現代社会の一部となっており、個人の重要性は今後も強調され続けることでしょう。

まとめ「新たなアイデンティティを築くために、他者を通じて自己を深く理解する視野が鍵となる」

「個人」から「分人」への変換を説明し、現代人のアイデンティティについて新たな視点を提供する。分人とは、一人の人間が複数の対人関係ごとの自己で構成されるという概念で、個性はその分人の比率によって決まる。また、自傷行為が自殺ではなく新しいアイデンティティを獲得する手段であるという視点を示し、現代の尋問が自己存在への疑いを抱く傾向にあることを指摘する。

この視点は著者自身のアイデンティティに対する考え方の変化を反映している。彼はかつては伝統的なアイデンティティ観を持っていたが、自身の小説「結界」を完成させた後、その観念から脱却した。その主人公は「真の自我」を追求するのではなく、誤解により犯していない罪に巻き込まれる。

全体的に、本書は我々が自己を理解し、他者と関わる方法について深い洞察を提供し、現代人のアイデンティティについての新しい理解を提唱する。それは「個人」ではなく「分人」を通じて、私たち自身と他者との関係性を再評価することを助けてくれる。